工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

Kazuクン、君は立派にやり遂げた(孤高のスノーボーダーへ)

ボクはスノーボードは詳しくはなく、前回4年前の冬季五輪トリノ大会選手リストで君の名前を見つけて知った程度だった。童夢クンなどと並んでいた。
その後、NHK BSで放映されていた「X Games」でのアクロバティックなスノーボードの魅力は少し理解できたし、それらがアフロアメリカのビートを前面に出したHip Hop音楽から始まるファッション、アート、そして社会風俗として影響を及ぼしていくアメリカンカルチャーの息吹の中から登場した新しいスポーツなのだということも徐々に理解してきた積もりだ。
今回のバンクーバー五輪の選手名簿に君の名前を見つけ、21になっていることを知った。あれから4年たったわけだ。
昨秋には結婚したというじゃない。おめでとう !


さて競技の結果は第8位入賞ということだったが、これは立派な戦績だと思う。
実際、予選では42.5点という高得点を挙げ全選手の中でもかなり良いところに付けていたし、決勝では予選で封印していた「ダブルコーク」の大技を披露し、これが結局はクリーンに決められなかったことで上位入賞を果たせなかったという結果だったね。
でもマックツイスなどの豊富なエア、滞空時間の長さ、着地の安定感、全体の演技構成など、その流れははとても美しく、アートにさえ感じさせてくれたし、美しさという点においては群を抜いて立派だったと思った。
決勝での試技で転倒し、顔面を強く痛めつけてもなお、その美しいパフォーマンスは変わらず、君のその意志の強さ、アスリートとして高次元の力量に本当に感動すら覚えた。

この8位という結果は君の力量そのものだと客観的に理解するしかないわけだが、しかし一方、残念なものだったとも思う。
他でもなく、君が自分の本来のパフォーマンスをスムースに出せる環境には全くなく、ひどく抑制された状況下で臨むことを強いられてしまったからだったね


いわば足枷をはめられ、ハンディキャップを背負い、ハーフパイプに向かわねばならなかったのだから。
自ら招いたという要素も否定できないとはいえ、こうした騒動の無い状態で臨んでもらいたかったというのが彼を知る周囲の感慨だったのではないか。

君は海外の有力選手と争う前に、身内であるはずの国内メディア、“世間”という名の同調圧力と闘わねばならなかったのだから・・・。
競技内容、ハーフパイプ上でのパフォーマンスとはおよそ関係のない振る舞いへのパッシングは、ただその選手の闘争精神を削ぎ、腑抜けにさせ、良い結果への期待をはぎ取るものでしか無いからね。
恐らくは最後の「ダブルコーク」を決めていれば、上位3位内の結果を残せたと思う。
いや、もはやこんな未練がましいことはいうまい。
こうしたことは君自身が一番感じていることだろうし、むしろそうした慰撫など端っから拒否する強い君であるはずだから。


今回の成田から選手村へ入る時の「腰パンにドレッドヘアと鼻ピアス」は物議を醸しちゃった。
確かに五輪公式ユニホームの着衣を云々されてしまうのはドレスコードに引っかかってしまいかねず、ちょっと脇が甘かったかな、という感じはしたが、オジサンとしては騒がれているほどには違和感を覚えたわけでもなかったのだよ。

Hip Hopのファッション(オジサンにはよく分からんが、ストリート系とか言われているやつなのかな)センスだろうから、それは君自身のスタイルなんだと理解した。
むしろ違和感は違うところにあった。
橋本選手団長とともに記者会見に臨んだ席で、記者席(日本人記者)からかなり強いパッシングに近い執拗な詰問に逢い、やや切れてしまった感の応対が見られ、結局これが火に油を注ぐという経緯をたどってしまい、その後TVなどで繰り返し放映されたらしく(ボクはあまりTVは見ないので確認していないが)、あるいはネット上には執拗にYouTubeなどにこれがupされるなど、まさに人々の欲情、劣情を掻き立ててしまうという経緯の方にこそ、強い違和感を感じてしまった。
これちょっとやばいな、とホントに背筋が凍る思いだった。

ちょっと次元の違う話しになるけれど、イラク戦争勃発時の3人の日本人ボランティア人質事件の時の、政府当局、メディア、ネット、様々なところから、あらゆる回路を動員したパッシングの嵐が思い出され、とても怖く感じたんだ。
ボクのような部外者でさえ、そうした苦々しい思いにさせられたのだから、当事者としての君はさぞ苦しい思いに苛まれたのではないのかな。
確かにその後も、何も変わってはいない、自分のパフォーマンスをやるだけ、と気丈に振る舞っていたらしいけれど、心中穏やかでなかったはずだね。
どうしてオレがこんなにも責められなくちゃならないんだ。TVカメラの前で応えたくない質問に自分を殺して身を晒さねばいけないんだ、などと。

でも君はそれらを封印して競技に臨んだ。
君自身も次のように語っていたそうだね。「五輪はその他の国際大会と変わるものではない同じスノーボード競技の1つ。でも五輪は家族を含めた皆が注目してくれるので、良い結果を見せたい」と。
そうした周囲の気遣いで、やっとモヤモヤと怒りを自制し臨んでくれたのだと思う。
しかしオジサンとしては、この騒動に孕む問題は笑って済ませるほど根の浅い問題ではないように思っているんだ。
何よりも今の日本社会の危うさを浮き彫りにしちゃった。


社会順応型の“よい子”( ≒ を演ずる)に対し、制服などうざいとして嫌う“悪い子”、“世間”という名の日本型社会規範に馴染めない者への徹底したパッシング。
まさに“イジメ”の構図そのもののように写ってしまった。

ま、オジサンが運用しているBlogでもそうしたパッシングに近いものがあるし、リアルなところでも同じような思いにさせられることもあるから良く分かる。
もともと日本社会というものがそうした危ういものを孕んだままに近代化しちゃったということがあるからね。

近代化とは社会、経済の諸次元での歴史的な発展というものを条件とするのは当然だけど、市民社会の訪れ、いわゆる自由な市民、個人というものの確立があってはじめて成されるものなんだが、日本の場合は近代化そのものが跛行して進んだがために、本来の意味での市民社会の形成は未だに作られていないという問題があるからなんだね。
そうした欧米に遅れ(一方、アジアでは1周遅れのトップランナーだったという別の問題も大きいのだが、ここでは触れる余裕がない)て発展した近代のために、ともするといわゆる封建的遺制が顔を覗かせる。

今回の騒動は、君のスノーボーダーとしての活躍をずっとフォローしている〈ESPN.com〉でも触れているけれど、それを引用している海外のBlogでは、いったいkazuが何で責められているのか、良く理解できない、という反応の方が圧倒的に多いということを見ても、いかに日本の常識というものが、実は世界では“非常識”に近いものかが良く対比できておもしろく感じたよ。

しかしスポーツはすばらしい営みだと思うね。
10代前半からスノーボードの魅力にはまって、早々とその才能を開花させた者にとっては、自分の人生そのものがスノーボードであり、自分の語りたいことは、言葉ではなく、スノーボードでのパフォーマンスで見せる、というスタイルを確立してきたのは当然だろうね。
立派な“世間”の方々が、一人の選手の品性を語り、国を語り、五輪を語るのは自由だし勝手だが、君のような世界的トップアスリートの隠れた日々の努力、大きな負傷を伴うリスキーなスポーツに限界を超えて勇躍挑んでいく力強さは、とても理解してもらえるものではないと思う。

言い換えればつまりはスポーツというものは、もともと他の誰れのためにするものではなく、きわめてプライベートな営みだということなんだが、しかし今ではトップアスリートにはいくつものスポンサー、関係者が纏わり付き、こうして五輪競技もなればネーション・ステートという大きな属性まで背負い込んでしまうという宿命にある。
個人がいきなりネーション・ステートに引きずり込まれることでの悲喜劇とも言えるのかな。


今回の場合、オトナより若者たちの方、つまり君と同じくらいの世代がむしろ強い抗議の嵐を巻き起こしていたという傾向が見られるそうで、オジサンらの世代の頃では考えにくい時代相を感じてしまう。
しかし確かにこうした若者たちの病理的とも思える反応の背景には幾分分かってやらなければならない部分もあるようにも思う。
日本社会の疲弊。格差社会と言われ、真っ当な日常生活も営めないような困窮に追われている彼らが、その憤りの矛先を君のような体制非順応型の同世代の者に向けるということがあるのだろう。
矛先にすべき対象を明らかに間違っていると思うのだが、一般に社会とはそうした危ういものを孕んでいるというのが偽らざる実相だ。

しかしペンという権力を持っている評論家、あるいはTVコメンテーターという名の訳知りのTV芸者などの物言いは強い社会的影響力があり、火に油を注ぐ役割を演ずるので困るのだが、いろいろと出てきちゃっていたようだね。

こうした社会に潜む劣情を動員し、焚きつけるような(自覚的であるのかどうかは知らないが)TVコメンテータ、スポーツ評論家という種族はそうしたことで口に糊している存在なのだが、彼らの貧相な心性より、大自然の雪上での軽やかな飛翔と、人間の能力の限界との格闘を日常とするスノーボーダーとしての君の方がよほど高みに立つ存在であり、ピュアな心性の持ち主であることだけははっきりしているとオジサンは理解している。

最近の日本という国の社会は常にこうした欲情を過剰に抱え込み、日常普段はブスブスとくすぶっているものが、時としてこのようなターゲットを見つけ出しては、一斉に火祭りにしてしまうとても怖い側面を持っているんだね。
余白が少ないというか、いきなり熱を帯びた感情がむき出しになる不寛容な社会というのは危なっかして困る。
これは一見強うそうでいて、実はとても脆弱な社会と言えるだろうね。

今回の騒動は自らの脇の甘さからとはいえ心深く傷ついてしまったと思うけれど、圧倒的少数派とはいえオジサンのような者もいるので、ぜひ立ち直って力強くアーティスティックな良いパフォーマンスに磨きを掛けて欲しいし、君にはそれを成し遂げる強い精神力と、アスリートとしての力量があると信じているよ。

今回の件では少なからずいろいろなトラウマを抱え込んだとは思うけど、オジサンから1つだけアドバイスできるとすれば、もし可能であればルサンチマンを滾らせないようにしてもらいたいということだね。
オジサンのような弱い人間はこういう場合は社会へのルサンチマンを抱え込んでしまったり、焚き付けた人間を憎んだりしてしまうんだが、これは良くない。解決への道を封じてしまうだけだからね。
飄々として、自身の行く道を信じていくことだね。
くだらないメディアなど適当にあしらっておけば良いだろう。

君は恐らくはバンクーバーから去り、次の国際大会へと転戦していくことだろうと思う。
4年後、その積もりになれたらまたソチ五輪に顔を見せればいいさ。
これからはX gameなどのサイトで活躍を見させてもらうことにするよ。
では Good luck !!

追補
なぜ日本社会からパッシングを受けている君を擁護するような論陣を張ったかと言えば、トヨタ車のようにアクセルを踏み続てしまい最悪の結果になる前にブレーキングする者もいないとまずいだろう、と思ったからだが、しかし日本社会もまだまだ捨てたものでもないようだ。
多くの人が君を擁護しようと発言しているようだ。
圧倒的に少数ではあるのだろうけれどね。
社会とはそういうものだから。  多数が正義なんていうのは嘘っぱちだからね。
■ 藤原新也 ”雪上のヒップホップ”で雑音を吹き飛ばすような大回転をやってほしい。
アメリカYhoo ! への反応
■ 堀江貴文 「服装原理主義」
■ 山本KID 「くだらん」
■ 海外関連情報
・Pop magagine:Kazuhiro Kokubo Issues Olympic Smackdown
・SI.COM:Japan’s ‘Bad-Boy’ Snowboarder
以下、少しだけ藤原新也氏の「Shinya talk」からの引用

「やくみつる」という漫画家は「強制送還」という言葉を使ったそうだが、この人はさずがに漫画家兼タレントだけあってひとつ高いトーンの発言がウケるということをよく心得ており、過剰なもの言いをするのだろうが、もし彼が儀礼道徳の範に長けている人であるとすれば、隗(かい)より始めよ、ということわざにもあるように、彼がいつも室内で帽子を被っている、あるいは初対面の素頭の目上の者の前で平気で帽子を被っている、あの儀礼に反する装いを正さなければならないということになる。
言うは易し、行うは難しなのである。

全くボクも同じ思いだ。
一方スポーツ全般の評論で名高い二宮清純氏には落胆したね。

五輪代表選手は国費で海外に派遣されている。要するに国民の税金だ。自分のスタイルを貫きたいのであれば「自腹を払っていけ」ということになってしまう。そのことを國母には自覚してもらいたい。

まるで官僚の物言いそのものだね。こんなのはスポーツ評論家とはボクは認めない。(二宮清純コラム
最後にYouTubeから、君のパフォーマンスを置いておこう。


* 参照
X Game
■ 2010年1月、X Gamesで3位入賞
Shaun Roger White
ホワイト選手の練習環境について

スポンサー、Red Bullによる専用プライベート秘密練習ハーフパイプの製作を追ったサイト
ヘリから爆薬投下し、人工的な雪崩を起こして雪を集め、すばらしいハーフパイプを作り上げ、ここでバンクーバー会場でも披露した「ダブルマックツイスト」などの新技を開発、練習したという。
シークレットとはいえ五輪の前にサイト公開しており、他のライバル選手へのプレッシャーであることも明らか。
スーパーアスリートが作られる環境とは……、五輪競技というものの背景の一断面を示す事例として考えさせられるね。
さすがのkazuクンも、これには頭を抱え込んでしまったかも。

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