工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

2026熊本地震・避難所から透けて見える人権の欠如

日本は落ち目とは言え、GDP 4位の先進国です。
しかし、2026熊本地震により避難を強いられた人々がおかれた環境を視るに付け、被災からの悲嘆を抱え、この猛暑を生き存えることが難しい状況であるのは明らかで、被災者も、TVから伝えられる現状を視る私たちも、眩暈がしてくるのは暑さのせいだけでは無いでしょう。

南日本新聞より拝借(30日・熊本県宇城市の小川防災拠点センター)
南日本新聞より拝借(30日・熊本県宇城市の小川防災拠点センター)

体育館の硬い木の床の上に毛布1枚で横たわる雑魚寝の状態で、被災によるメンタルの憔悴と、壊れてしまった家の片付け作業などによる身体の疲労を抱え、空調も無い熱帯夜をどう過ごせと言うのでしょうか。

画像は熊本県宇城市の〈小川防災拠点センター〉の様子ですが、防災拠点センターと銘打たれた施設であるにも関わらず、雑魚寝というこの光景。凡夫には理解を超えています。
ただ雨露凌げるだけで、防災拠点センターを名乗れる理解不能さに唖然としてきます。

10年前の熊本地震、先の能登半島大地震においても視られた同じ光景ですし、もしかすれば雨露を凌げるだけという意味では、100年前の状況とさほど変わらないのかも知れないのではと思い至るのは私だけでは無いのでは。¯\_(⊙︿⊙)_/¯

この災害列島・日本において、大災害の度になぜ段ボールベッドじゃなく雑魚寝なのか、なぜ水とパン1個だけで、暖かい食事が届かないのか、なぜトイレが整備されないのか、
毎回、毎回、同じ疑問が口から出てTVに向かい嘆いてしまうのですが、さすがにこの秋には防災庁が設置される日本なので、改善されつつあるだろうと思いきや、
被災者に与えられる環境は、ミリも改善されていないようです。

軍事費だけは倍増され、自衛隊の兵站の現場では使い切れない程の予算措置で頭を抱えているとの話がある一方、毎度毎度繰り返されるこの被災現場の哀しき光景、

いったいなぜなのでしょうか。


この不可解な状況をよく考えれば、行き着くところは、日本という国の、日本社会の、「人権意識の欠如」では無いでしょうか。
さらに言えば、日本は明治維新以降、近代国家への道を歩み始めたとされていますが、現実のこの被災現場を視れば、日本のいったいどこが所与の前提である、ひとり一人の人権が保障される近代社会なのか、という根源的な疑問にぶち当たるのです。

被災者が置かれた環境は、誰がどう視ても、日本国憲法下で保障されている人権を無視された環境といわざるを得ないものがあり、とてもひとりの人としての尊厳が守られているようには思えません。

落ちぶれてしまった日本社会とは言え、国家予算の規模を考え、毎年のように大災害が起きてしまう状況を考える時、最低限の清潔なトイレ(T)、温かい食事を提供するキッチン(K)、段ボールのベッド(D)の「TKD」は発災後、48時間内に潤沢に設置できなくはないはずなのにです(TKD48)。

避難所の環境について、国際的には〈スフィア基準〉というものがあります。
そこでは1人あたりの居住空間は最低3.5㎡を確保し、必要不可欠な次の4つの要素を満たすことを求めています。

  • 給水、衛生および衛生促進(WASH)
  • 食料安全保障と栄養
  • 避難所および避難先の居住地
  • 保健医療

日本よりはるかにGDPの低いイタリアなどの欧州、あるいはアジアの台湾などではこうした基準は積極的に取り入れ、年々改善されているようですが、発災後5日も経つ今(2026.08.02)に至るもなお、室温30度を超える環境下、雑魚寝の光景が続いているというのは、どうにもやりきれません。

雑魚寝ではとても身体は休めませんし、床と同一平面ですので、床埃がまともに呼気に混じり込み、感染症へのリスクは高まることでしょう。

雑魚寝では高齢者は「起きて起ち上がる」動作の困難さから、身体活動が緩慢とならざるを得ず、健康維持はより困難なものになりかねません。

無論、この状態ではプライバシー空間は与えられず、ストレスは高じる一方で、人に依ってはそれだけで体調崩しかねません。
3.11時の避難所では密かに語られていたようですが、被災者への性的被害も少なく無かったようですが、これこそ暴力的で犯罪的な「人権侵害」以外の何ものでも無いでしょう。


家族単位でテントが設置され、その中には段ボールベッドなどが置かれ、安心して休める空間を確保することは必須なのです。

段ボールベッドも各自治体では数10台単位でしか備蓄されていないとの報道もあり、驚かされますが、せめてその自治体の人口の1/5ほどの数ぐらいは備蓄しておいて欲しいものです。

各自治体単位では、小規模の自治体もあることから一律に決めるのは無理もありますが、広域の自治体が協議会を設け、この広域単位で備蓄管理するという方法は可能でしょうし、秋には発足すると言われる〈防災庁〉ですが、国の備蓄管理と、被災時には、プッシュ型で届ける体制を整え、48時間以内に、スフィア基準を満たすような体制を早急に作らねばまずいのでは無いでしょうか。

今のところ、災害関連死とされるのは、7月30日に死去された70歳のご婦人、ひとりだそうですが、避難所施設の劣悪さから、車中泊された結果としての死去だったとのこと。

このまま、避難所の劣悪な環境が改善されないようであれば、災害関連死や寝たきりの高齢者が増大しかねません、
厳しい言い方をすれば、これはまさしく人災です。国や自治体の不作為と言わねばならないでしょう。
 
こうした災害時における基本的な要望に対し、政治家はたぶん、こう言って反論するのかも知れません。
「君は何も分かってない。君の言っていることが例え正しくとも、何事も予算措置が必要・・・。君が考えるほど単純な話しじゃ無いのよ」などと?

現在、公立学校のエアコン設置は80%を越えているようです。
このエアコン設置の措置ですが、2018年夏の猛暑から生徒の熱中症が相次ぎ、これに対する野党のエアコン設置への強い要望により補正予算が措置されたことによるものでした。
選挙ドットコム
これにより、ほぼ全ての公立学校にエアコンが設置されるという経緯があったのです。

つまり、文科省もあーでもない、こーでも無い、と様々な屁理屈をこね、予算措置を先延ばししていたものの、政治的な課題として浮上した途端、一気に進むという事態、
ようするに 政治意志の問題なのです。

軍事予算を倍増させ、消費税を1%に削減させる前に、災害列島・日本を、政権が良く言うところの「国土強靱化政策」のイの一番に、段ボールベッドを備蓄し、清潔なトイレカーを準備し、飲食業界と協議の上、キッチンカーの48時間以内の派遣を可能に、などということも、政治意志さえあれば絶対に可能なはずなのです。

「人権監視」の独立機関の無い日本

2026熊本地震での避難所「雑魚寝」の光景はもう止めませんか。
世界に恥を晒すだけです。

これは日本には人権が蔑ろにされていることの証しとして観られているのですよ。

もう既に、この「人権」については幾度も国連から勧告されてきている日本ですので、驚くに値しないのかもしれません。
この国会で定められた〈皇室典範改正〉ですが、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)は、「男系男子」に限った皇位継承は女性差別にあたるとして、皇室典範の改正を勧告していました。
これこそ、人権を蔑ろにしている日本という姿への勧告でした(朝日『「大人げない」外務省の”身内”からも懸念の声 国連委への対抗措置』

他にも、国連機関の「人種差別撤廃委員会」からは、「包括的な人種差別禁止法の制定せよ」「朝鮮学校を高校無償化の対象から除外するな」などの勧告は幾度も届けられています。
(例えば、https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/section4/2018/11/post-201822.html

多くの民主主義国家には「人権」を調査、研究、監督する独立した機関が設置されていますが、日本にはこれに類するものが設置されたことはありません。
私が先に示したように、この「人権」への不徹底な日本というのは、近代国家というのはまったくのデタラメで、前近代のアジア的な封建遺制が未だに蔓延る、田舎っぺ、ということを表す指標でもあるのです。

こうした「人権」意識の欠落、弱さというものが、災害時の避難所の「雑魚寝」を許容させ、災害の度に課題として浮上するものの、3月も経てば、忘却の彼方へと・・・。

人を人とも思わぬ、政治の不作為であり、災害弱者への冒涜なのです。

災害ボランティアについて

ボランティアと言っても様々な関わり方があり、被災者住宅の片付け、避難所の管理運営だけではなく、温かい食事を振る舞ったり、かき氷を振る舞ったり、あるいはまた被災者の子どもと一緒に遊んだり、高齢者の話し相手になるだけでもとても有益な活動であって、創意工夫で様々な関与の在り方があるのだろうと思います。

2011.3.11東日本大震災の際、私たち3名は石巻への〈緊急ボランティア隊・エスペランサ〉に起ったのでしたが、あの時は、まだ行くべきじゃ無い、であるとか、素人が行っても邪魔になるだけ、などとボランティアに起ち上がる事への牽制だったり抑圧のようなものまでありました。

クーラーの効いた快適な部屋から、いやあの時はコタツに温まりながら?、一知半解のワイドショー コメンテーターの如くにボランティアに起ち上がる人々を腐す前に、被災者の現状、苦悩、悲しみ、要望などをどれだけ真剣に受け止めた上での物言いなのか、ということなのだろうと思います。

こうしたことは能登半島大地震の際にも大きな問題となり、ボランティアの起ち上がりへの阻害として結果していましたね。

事実、静岡や、三重県から800kmを疾駆し駆けつけたことを知り、自分たちに寄り添ってくれる人がいるということに接するだけで、暗く沈んだ顔に明るさが戻り、励みにもなれば、一時でも喜びとして伝わり、復興、復旧へのパトスを引き出す契機になり得るものだと言うことを、身をもって教えられたものです。

あの時は持ち込んだテントで寝泊まりしたのですが、このテントも雪の重さで潰されもしましたが、2026熊本地震 被災地の猛烈な暑さはさらにもっと過酷だろうと思います。
地震による被災と猛烈で過酷な暑さとの複合的な被災との格闘になるのは必至です。

何よりも堅固で明るく組織的なボランティアセンターを構築することが肝要ですが、
二次被害など出すことの無きよう、くれぐれも留意していただければ、被災者に寄り添う有為な活動により、被災者はもとより、被災地から日本社会全体への大きなエールになることは疑いありません。

「津久井やまゆり園」惨殺事件から10年、映画『急に具合が悪くなる』が公開

2つの事柄を結びつけるタイトルですが、映画『急に具合が悪くなる』を観ていない人からすれば何のことかと怪訝に思うばかりか、映画を観た人からも牽強付会に過ぎると笑われそうですが、カンヌ国際映画祭において最優秀女優賞に輝いたこの映画、「障がい者など生きる価値が無い」と憎悪を滾らせ、19人もの入所者に柳刃包丁を振り下ろし、惨殺に及んだ憎悪殺害事件と、その10年後を考えるうえで、とても重要なエッセンスを私たちに提示する映画のように思え、このようなタイトルにしました。

以下、その辺りを中心に考えてみます。

津久井やまゆり園 ファサードに建立された石碑
津久井やまゆり園 ファサードに建立された石碑(公式サイトから)

「津久井やまゆり園」惨殺事件から10年

2016年 7月26日未明、津久井湖と相模湖に挟まれた緑豊かな郊外に立地する、障害者施設「津久井やまゆり園」に、元職員の植松聖(うえまつ さとし、事件当時26歳)が侵入し、入所者19名を惨殺、26名に重軽傷を負わせるという、日本の犯罪史上、実に特異な憎悪犯罪として日本社会はもとより世界へ衝撃を与える事件でしたが、あれから10年が経過します。

植松は殺人などで起訴され、横浜地裁で死刑判決を受け、自ら控訴を取り下げ、この死刑判決は確定するも、その後再審請求が繰り返されているようです。

この犯行の詳しい経緯、およびこの事件に纏わる、あるいはこの特異な事件が与えたその後10年の経緯などについては、事件から10年を迎えるところから、多くの報道が出されていて、詳しくはそれらに譲るとして、
私自身としても、当時、本件につき3本にわたる記事を本Blogに上げてきており(こちら)、10年を経た今、あらためて事件を振り返り、犯行を強く指弾するとともに、犯行に遇われた入所者とその遺族の怒りと無念を偲び、あらためて深く哀悼の意を表したいと思います。

当時は事件そのものの衝撃に驚き、次いで、被害者家族や社会の反応、あるいは行政当局の官僚主義的でおざなりな対応に苛立ち、障がい者に関わっているわけでも無いけれども、尽きぬ涙とともにあふれ出る思いのままに書き起こしたことを昨日のように振り返ることができます。

そしてあれから10年、先週辺りからポツポツと10年を振り返り、再建された「津久井やまゆり園」の現状や、被害者家族らの今の思いなどの取材から構成された記事が出されていて、
そうした記事を通し、あらためて思うところからこうして書き始めているというところです。


また、現在 上映中の映画『急に具合が悪くなる』(濱口竜介監督作品)を観て、大いに思考を揺さぶられるものがあったのですが、実はそこに描かれているテーマから「津久井やまゆり事件」を考える上でいくつもの示唆を受けることがあり、この2つを並記しつつ、問題の在り様、思考の基準点を探り、そこからあり得べき方向性を見いだしてみたいのです。

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低床のカップボード & オーディオボード(その2)

この2連のキャビネット、取り立てて珍しいものでもありませんが、あえて紹介させていただくとすれば、開き扉の奥にある、抽斗収納の方式あたりでしょうか。

和箪笥の衣装盆なども、観音開きの扉の奥に収納されるところから、このお盆の収納には扉の厚み分をふかすため、別途、帆立を内部に建て込むことになります。

今回の場合も、基本、同様の構造が求められるところですが、和箪笥のように、衣装盆の側板の幅分を欠き取り、この溝を衣装盆の側板全体が摺動するという方式では無く、吊り桟方式で納める構造にしています。

これは木部の経年変化による摺動への障害を軽減させるため。
本体と、トレーの接触部分を機能性を満たしつつも、極小とすることで、木部の変形から摺動への影響を断ち切るための考え方ということです。

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低床のカップボード & オーディオボード

カップボード

機能重視の食器収納と、IT関連機器とオーディオ機器収納の2連のキャビネットです。
アート全般、高い見識を持ち、建築から工芸、家具などのコレクションに余念の無い、公務に従事する若い女性からのオーダーでした。

大小2つのキャビネットで構成されています。

カップボード

やや大きい方がカップボード

中仕切を挟み、左右に3枚づつ、計6枚のトレーで構成。
スリ桟は片側で7段あり、収納される器のサイズから、任意の高さで運用する形です。

実は当初、扉では無く、抽斗方式の構成だったところを、様々なサイズの器に対応可能で、合理的な収納方式でもあり、使い勝手の良い内部トレー方式に変更し、このような設計に。

なお、この2つは合わせれば1.700mmの間口になり、最初から一体のものとして構成しても決して大き過ぎるものではありませんが、引越が多いとのことで、搬出、搬入での容易さを考慮し、このような2分割での構成に。
2つのキャビネットは設置場所に搬入後、 J.C.B(連結金具)で結合させます。

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木曽檜の 欄間ディスプレー センターテーブル

木曽檜のテーブル

木曽檜の大きな卓です。
ただ、テーブルトップは一風変わっていて、2枚の欄間を強化ガラスで封入させた構造。

旧家のお屋敷を解体し、ここに新たにモダンな住宅を建築することになり、この新居の居間で用いるせンターテーブルに、お屋敷解体で使われるところを失いつつあった〈欄間〉を嵌め込み、旧家の痕跡を遺しつつ、継承して楽しみたいというご意向。

こんな面倒な依頼を請けるのはうちくらいしか無かったのかも知れない案件というわけです。

視れば、1.6寸ほどの厚みの高樹齢の杉材から彫られた豪華な立体的な透かし彫りの欄間が2幅。

欄間

もしや、井波の欄間では無いかと施主に伺ったところ、先代からは伝え聞いてはいなかったとのことでした。

さてところで、この欄間を活かすための枠材、脚材の樹種選択をどのように考えるのか、ここはなかなか難しいです。
欄間は和室において、その品位を表象するものでもあり、安易な選択はできませんが、かと言って和の調度品の代名詞のような欅を用いれば、あまりに安易で、主張の強い欅のような樹種では無く、ややおとなしい栗材やタモ材などが良い選択になりそうです。

しかし今回は、この欄間の品位に敬意を表し、天然檜、木曽檜を用いる事にしました。

たまたま、四方無地で1.5寸板の木曽檜を在庫していることも選択の大きな要因となったのでしたが、脚材にするほどの太い角材は無く、名古屋の松井さんに訊ねたところ、3.5寸×4.3寸の2mモノがあることを確認し、施主とも協議の上、決定と相成ったというところ。

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映画『1975年のケルン・コンサート』(原題:Köln 75)

Jazzを少しでも興味を持つ人であれば知らぬ人のいないジャズピアニストのキース・ジャレット
そして驚くなかれ、ジャズ史上最大の400万枚を売り上げ、その名を世界に知らしめた、ケルン・オペラハウスでのキース・ジャレットのソロ公演〈The Köln Concert〉(1975年)(日本版:ケルン・コンサート)を収録したレコードは、Jazz界の金字塔とも言うべきものです。

このレコードのリリースから50年という記念すべき2025年に公開されたのが、この映画・『1975年のケルン・コンサート』(原題:Köln 75)企画でした。

この映画はコンサートの実現へ向け奔走する若い女性の迸るエネルギーが描かれるもので、決してキース・ジャレットの演奏をフィーチャリングした映画などではありません。

詳細は不明ですが、演奏者・キース・ジャレットや、ツアー Liveのマネージメントを担っていたマンフレート・アイヒャーの監修を受けたものでも無いと思われますし、事実、このライブ演奏の音源はまったく使われることなく終焉を迎えてしまうのです。

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Music Stand と、サンディングブロック

Music Stand
工房 悠のMusic Stand

Music Stand、いわゆる譜面台ですが、ショールームの隅にジャン・コクトーのペン画をディスプレーした状態で置いてあります。
『家具の音楽』と言った珍妙な名称の曲を作ってきたエリック・サティとは意気を通じ合った関係の二人なので、譜面台に置かれてもあながちおかしなものじゃ無いのかな、などと強弁しつつ・・・

彼らの時代のアートは既成の価値観が大きく揺さぶられ、絵画ではピカソをはじめとした自由で独創性の優れた画風がもてはやされる時代でもあったようですが、エリック・サティもジャン・コクトーなどと一緒に、パリのカフェでエスプレッソを啜りながら(いやワインかな?)、通り行く婦人をチラ見しつつ、歓談していたことでしょう。

そんな時代であれば、譜面台もこんな風にデザインされていたかも知れませんよね。


家具制作の打合せに立ち寄ったご婦人、打ち合わせの件はそっちのけで、この譜面台に目が釘付け…、お買い上げいただくことに。
本来の家具制作の方はペンディング…、グ…、・・・

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15年後の3.11から見える光景

TV各局は東日本大震災に翻弄された被災地を訪ね、15年という時の流れを思わされる皺の数が増えた被災者にカメラを向け、帰らぬ人となった犠牲者、さらには未だにお骨一つ戻らぬ子を涙とともに偲ぶ姿を捉えていた。

15年という時の重みは、いろんな意味において、軽からぬものがあるようだ。
当時、就学したばかりの子も成人式を済ませ、社会の第一線の成員として活動しておられる年齢の人々だろうが、彼らには、たぶん、相当にキツイ被災者で無い限り、3.11東日本大震災の記憶は無い。

福島の帰還困難区域でも数度にわたる集中的な除染作業により、この規制も大きく緩和され、帰還が始まっているそうだが、ただその人々に焦点を当てると、元住民という人よりも、行政からの様々な支援を期待しての、いわば新住民といった人も多いそうで、その人々に〈137Cs〉(セシウム137)がどうのこうの、半減期がどうのこうの、などと言っても、何のことやら、ポカ〜ンと反応は無いのとのこと。

元住民にしてみれば、それは福島第一原子力発電(以下、1Fと略称)から放出、拡散された、まさに命に直結するほどの放射性物質の量を表す数値で、日々、住民たちが顔を合わせれば、互いにこの数値を共有し、自分や家族がその土地に住み続けることができるのか、いや、故郷を捨て、親戚を頼って遠隔地へと逃げねばならないのか、そうした判断の根拠となるもので、自分や家族の振る舞いにおける思考の中核を占める数値だったのに、

そうした些末な情報であるはずが無い、核心的な数値さえ忘却の彼方に押しやられるというのが、15年という月日の流れでもあるようだ。

福島第一原子力発電所 2011年3.11直後の空撮

だがちょっと待って欲しい、この〈137Cs〉の半減期は30年。
つまり一部では忘れ去られてしまうほどの時間の流れ、15年経ってもなお、人体の奥深くに強いダメージを与えると言われる放射性物質、〈137Cs〉の半減期は30年というかなり長い時間経過を必要とし、つまり未だこの半減期の1/2が過ぎただけという状況は、とても3.11・F1事故を忘れ去ることが許されるほどに甘いものではないことを私たちに突きつけている。

これほどの過酷事故を起こしてしまった日本の原子力行政だが、当時、民主党政権(菅直人〜野田佳彦氏が首相の時代)下であったこともあり、民主党のみならず、多くの政党が「脱原発」を訴え、電力供給源を再生可能な自然エネルギーの推進、旧くなった火力発電の再整備などに大きく転換させようとシフトチェンジへの道を進めたのは、確かに英断だったと思う。

この 3.11 1F事故は日本ばかりか世界全域、とりわけ原発依存を進めてきた欧州のドイツはアンゲラ・メルケル政権の下、いち早く原発依存から、自然エネルギーへとシフトチェンジしていくことを高らかに宣言し、強力なリーダーシップの力もあり原発依存は30%⇒15%へと進めてきたようだ。

反原発集会とデモ

私たち市民もまた、1Fの電力は、地元福島に供給されるのではなく、煌々と輝く、華やかな大都市・東京へと送られていることが知らされた市民の疑問と、原発に内在する反人間的な科学とも考えてしまう人々の省察などから、経産省へのデモが組織され、戦後の市民運動としては画期と称されるほどの怒りの人々を結集させ、日本社会のエネルギー資源の再考を促す大きなムーブメントが繰り広げられたことは忘れもしない。

あれから15年。日本社会は規制解除された区域へと居を定める新住民を、正面からイノセンスに過ぎるでは無いかと指摘できるほどに立派な態度を取っているのかと言えば、
実はまったくそんなことは無いばかりか、むしろ積極的に忘却を促すような施策をとっているのが実態であるように思えてならない。

どういうことかと言えば、先の高市政権下での1月通常国会での冒頭解散から衆院選で、絶望的なまでの大敗北を喫した、〈中道改革連合〉代表の野田佳彦氏だが、この大敗北と同様の敗北を喫したのが野田第3次改造内閣の時で、みすみすと自民党に政権を明け渡したのだったが、今期衆院選の敗北を機にメディアはもちろん多くの人々に想起させられたのは皮肉というより、あまりにも政治的センスに欠ける政治家だったことを広く一般に知らしめる一件ではあった。

おっと横路に外れちゃったが、
この野田第3次改造内閣を破り登場したのが、第2次安倍政権。
この自民党安倍政権でさえ、〈エネルギー基本計画〉において「原発依存度を可能な限り低減する」と打ち上げるという、今にして思えば、なかなかやるじゃん!などと目を細めたくなるほどのもので、内閣に閣僚を出していた連立の公明党は「原発ゼロ」を公約としているほどだった。


ところが、3.11から10年ほど経った時の内閣、顔だけマジメで実直そうな岸田政権は、なんと、原発を「最大限活用」へと逆転。歴史の歯車を逆回転させ始めちゃった。
(「実直な貌」ってのは、実はヤバイ、と知ったのはこと時である。)

これには確かに世界情勢の大きなエポックを背景としたものもあるとはいえ、
世界を震撼させた、3.11 F1過酷事故の当事国ということを15歳の少年のように忘れてしまったかのようなあまりにナイーブな(ちょっと用法が違う可奈?)政策転換と言うしか無いだろう。

つまり、原油産出国でもあるロシアによるウクライナ軍事侵攻によるエネルギー価格の高騰、さらには、〈気候変動に関する国際連合枠組条約〉(COP)での脱炭素、CO2排出規制の世界的動きと、その厳しさから逃れる危機感が高まり、政権のみならず、メディア。識者らの大キャンペーンから、世論を操作しつつ、原発容認へと大きく回帰していくことになった。(岸田・石破政権)

また安倍晋三氏の後継者と自負する高市政権では原発再稼働一直線、加え、世界的にも実験段階でしか無く、巨大施設を必要とすることから膨大な建設費が掛かるとされる〈核融合〉プラントを志向するというものだそうだ。
また、野田政権下で定められた原発の最長運転期間の60年をさらに延ばそうと画策しているらしい。
これは既存の原発が徐々に、運転期間のMaxに近づきつつある事への対応だが、古ぼけた癌発の耐久力を失念した、あまりにナイーブに過ぎる(用法、間違っているのかな?)非科学的方針では無いだろうか。

Bloomberg 2025.10.06 拝借しました 多謝

こうして、3.11以降、急速に伸びた再生可能エネルギーへのシフトも、強力にブレーキが掛けられ、最近では、秋田県・千葉県沖の退洋上風力発電プロジェクトへと踏み出しつつあった、三菱商事だが、採算悪化を理由とし、撤退の発表があり、これには強い衝撃が走る事態に。

これはよーするに、原発再稼働、新規小型原子炉への実用実験などへの莫大な資金投入と較べ、再生エネルギーへの予算措置は次々と削減、あるいは切られ、こうした未来の再生可能エネルギーはまったく肩身が狭くなる状況を呈し、なんともわずか15年でこうも時代潮流の変遷に打ちのめされるのか、まったく気が重く、未来社会の展望は真っ暗闇という状況。

これらは言うまでも無く、9電力という大企業(と、そこに群がる関連企業)への予算措置を意味し、またこれら企業からの政権与党への企業献金となってグルグルと循環するだけで、その資金の源である我々納税者、3.11東日本大震災の被害者らには全く無縁の富裕者と政治家らの懐が潤うだけのループでしかないことは言うまでも無いようだ。

再び我々は、3.11で明かされてしまった真っ赤なウソ・「原発安全神話」の虜にされようとしているのだろうか。

2026年、迎える春は果たして…(高市政権 のヤバさ)その3

トランプの暴走

おっと、冒頭のトランプの暴虐についても触れねばなりませんでした。
今日は一点、言及するだけに留めます。

10ヶ月後に迫るアメリカの中間選挙を照準としたものなのか、いえとてもそうとは思えないミネソタ州での暴力的な移民排斥に踏み出したトランプですが、今や「力こそ正義」とばかりの暴虐さを恥じず、100年以上も昔、法規範など無く、荒涼とした大地でのアメリカ大陸開発時の西部劇で視るような振る舞いを演じています。

さすがにこの暴挙には民主党からの非難はもちろん、共和党内からも強い批判があり、難しい局面に立たされているものと思いますが、さしあたっては、2月24日のアメリカ大統領、一般教書演説で何が語られるのか、注目したいと思います。


次に、これは余談のようで、いえ かなり国際的で大事な話しになってくるのですが、FIFA2026 W杯まで131日に迫っています。
今回は北米3か国の16都市で6月に共同開催されることになっています。
主開催国はアメリカ合衆国で、ここにカナダメキシコが補助開催国となるのですね。
サッカー大好きの私には待ちに待った世界大会です。

ところでご存じでしょうか。この〈2026年 FIFA W杯〉へのボイコットが欧州各国において取りざたされていることを。

NHK画像より

昨秋、インファンティーノFIFA会長から、トランプに〈FIFA平和賞〉が贈られたというので(上画像)、苦笑交じりに、いや嘆かわしさとともに語られた事案だったのですが(BBC:トランプ氏への「FIFA平和賞」授与、「政治的中立」の内規に違反と人権団体

他でも無く、「平和賞受賞者」トランプからは「デンマーク自治領グリーンランドの領有への欲望」があからさまに語られ、当然にも関係国はもちろん、欧州中心に緊張が走る状況を呈しています(各国、軍隊をグリーンランドに派遣するなどという)。

こうした時局から、ドイツサッカー連盟が「ボイコットを検討するべき時」と狼煙をあげたのです。(BBC:【2026年サッカー男子W杯】 独連盟の副会長、ボイコット議論すべきと トランプ氏の言動理由に)
朝日記事

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2026年、迎える春は果たして…(高市政権 のヤバさ)その2

高市政権とは

ここでは公約から少し離れ、高市政権のスタンスを見ていこうと思います。

高市首相の外交安保政策などからはトランプの後追いをするかのような専制主義的で排外主義のキナ臭さがプンプンと臭ってくるばかりで、開かれた日本の未来は見えてきません。

高市首相は3月にも訪米し、トランプとの会談が予定されています。

悪化する一方(ってか、高市首相自ら、墓穴を何度も掘る始末¯\_(⊙︿⊙)_/¯)の日中関係
ネオジムなど、IT関連産業には絶対的に欠かせないレアメタルの対日輸出が停められ、インバウンド無くしては成り立たない観光産業などが最悪状態ですが、そのことをトランプに愁訴し(チクリ?)、ケツ舐め外交を展開したいところなのでしょうが、トランプにとっては今や日欧の同盟国などより、米露、米中関係こそ全てとばかりにシフトチェンジしている中で中国との仲介を願い立てることなど果たしてできますかね?。
高市首相が強く訴えれば訴えるほど、日米関係は危ういものになりかねない状況なのです。

※ レアアース:首相の「不用意な」答弁で悪化、日中関係は打開できるか
大手電機メーカー幹部「首相は産業界にどれだけのマイナスのインパクトがあると思っているのか。けんかの仕方を間違っている

毎日新聞 2024.10.29

トランプ来日の際の米艦上での、ぴょんぴょんイェーイ! といったノリでトランプに愁訴できる積もりでいるとすれば、あまりにその政治センスの浅はかさに物笑いになるだけです。

高市首相の昨秋の国会における党首討論の場での、いわゆる台湾有事「存立危機事態」発言に対する習近平のメッセージには、戦後国際社会における中米など戦勝国の正統性の立場から、敗戦国・日本をなじるものがあったわけですが、ごく一部を除くメディア報を視る限り、それらの意味するところに危機意識を持っての解説がなされず、どちらかと言えば、表層的で、中には嫌悪感を滲ませ、あるいは排外主義的ニュアンスを込めたものに留まっていることに奇異を覚えたものです。

またこの選挙戦渦中の26日、TV朝日番組で、台湾有事に「共同で行動をとっている米軍が攻撃を受けたとき、日本が何にもせずに逃げ帰ると、日米同盟は潰れる」と語るなど、件の「存立危機事態」発言以降、「特定のケースの明言は慎む」と「反省」を口にしていたものの、わずかに数ヶ月でこれを覆し、再び踏み込んだ発言がなされたようです(朝日記事)。

これに対し中国は「戦後国際秩序に挑戦しようという日本右翼勢力の野心を暴露」となじるのでした。

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