工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

集塵システムの進化(ポータブルサンダー)

25年前に導入したポータブルサンダー(集塵部位は新たに購入)

木工現場でのサンディング

うちのサンディング作業は〈三点ベルトサンダー〉、というマシンで行うのがキホンです。
10cm幅のエンドレスのサンディングペーパーを回転させ、これを被研磨材に押し当てて研磨するというシンプルな機構のマシンです。

中規模以上の木工所ではワイドベルトサンダーというマシンを用い。高精度なサンディングが可能なマシンを設置するのが一般的ですが、うちのような小規模木工所ではこの三点ベルトサンダーを設置するのがごく一般的です。

強力に研磨できますので、生産性は高く、その研磨性能には確かなものがあります。
プロの木工所でもこうしたマシンを置かず、ポータブルや手研磨で行うといったところもあるかもしれませんが、サンディングの作業性、研磨の精度等々、三点ベルトサンダーでさえ、圧倒的な優位性があります。
ここでは詳述しませんが、関心のある方はこのBlogの〈木工家具制作におけるサンディング〉に10回に渡り記述していますので、そちらをご覧下さい。

さて、この三点ベルトサンダー、ただ、間口が2mしか無いために、これを越える長さの物、あるいは重量物などはこれを使うのは困難で、その代替として、ポータブルの電動工具を使うことになります。

あるいはまた、既納品の再塗装を含む、現場作業では大型のマシンは使えませんので、ポータブルのサンダーは欠かせない道具なのです。

BOSCH GEX 125A

私のところでは25年ほど前から〈BOSCH GEX 125A〉という電動工具を使っています。
四半世紀の歴史、というわけですが、まったく劣化は無く、正常に機能しています。
設計から製造管理まで、BOSCHのクォリティの高さを実感させてくれますね。

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樺・ネストテーブル

ネストテーブルは以前より作っていて、決して多くは無い、うちの定番品の1つ。

入れ子に納め、整理することのできる小テーブルのことを〈ネストテーブル〉と言いますが、台数としては3台、1セットが一般的でしょうか。

インテリアの1つとして部屋の隅に置かれるのも良いでしょうし、もちろん、テーブルとしての機能も十分な品質がありますので、補助的なテーブルとして活用できます。
花台など、飾り棚的な応用もおすすめですね。

今回、在庫が切れたところに新たな受注があり、久々に制作することに。

発注者はWebサイトに掲載(こちら)のブラックウォールナット材は、あまり好まず、できれば国産の材種を要望され、いくつかの選択肢を上げ、検討いただいた結果、樺材での制作となりました。

一般のユーザーには、この軽やかな赤身と白太の白さはカジュアルな感じを与え、喜ばれるようです。
また物理的特性からすれば、緻密な木理と硬質さから、堅牢性も高く、また破綻も少なく、家具材としての条件をほぼ全て備えている材種といって間違い無いでしょう。

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クラロウォールナット、20年ぶりの邂逅

うちで造ったローテーブルを、引越を機に用途を変え、フツーの高さのテーブルに作り替えてくれないかとの相談のメールが入ってきたのです。

1.stコンタクトの場では思いおこせなかったのですが、その後、添付されてきた画像には、20年という月日を経、使い込まれ、色褪せた色調の甲板があり、その特異な形状から、確かに私が制作したクラロウォールナットのセンターテーブルであることが確認できたのです。

クラロウォールナットといえば、稀少な樹種とはいえ、日本国内で私だけが取り扱っているものでもなく、半信半疑で当時の書類と記憶を辿ったところ、もう20年も前のことで、伊勢丹新宿本店での「モダンクラフト展」に出品した会場で買い上げられたものでした。

このクラロウォールナットは原木丸太で求めた2本目のもので、長さこそ1.5mほどの短いものでしたが、太いところの幅はほぼ同じく、1.5mもの樹齢のあるもので、またそれだけに様々な杢を醸し、いかにもこれこそクラロウォールナット!といった、素晴らしい出遭いの原木でした。

この頃、毎年開催された伊勢丹本店での「モダンクラフト展」出品に誘われ、これをセンターテーブルとして設計製作、出品したものでした。


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2020東京五輪強行はオリンピック終焉への弔鐘(終)

五輪敗戦と遺された問題、そしてオリンピックというアポリア

2020東京オリンピック、パラリンピックは日本社会に、あるいは近代オリンピックの歴史にいったい何を遺したのでしょうか。

菅政権はNYT、W.POST、The Gurdianなど内外の名だたるメディア、さらには多くの市民からの五輪開催強行への疑念、開催すべきでは無いとのメッセージに一切応えること無く開催断行したのでした。

その間、東京都では連日、COVID-19感染症が発生して以来 最悪状態の4,000から5,000名を越える感染確認者が出るという感染拡大状況を呈する有り様。

また開催直前の組織委責任者の差別主義的な問題、ホロコーストを揶揄するといった禍々しい問題などを引き起こしつも、何とかこれらを取り繕い、終幕を迎え、開催に関わった5者(IOC、JOC、組織委、日本政府、東京都 の5つの機関)は、終えた事への安堵と自負の言葉を並べ、嘯いたものですが、このオリパラ開催成功を政権浮揚のテコとしようと目論んだ菅義偉首相にとっては思いもよらぬ展開が待ち受けていたのでした。

何と、自民党総裁の任期切れ(元々、前自民党総裁であった安倍晋三氏の任期であったものをそのまま引き継いだことによる)で行われる自民党総裁選には出馬せず、退陣決断に至るのです。

これにはいささか驚かされましたが、無謀極まる五輪開催強行と感染拡大への強い批判に晒された結果、本人としては思いもよらぬ展開と考えるのが大方の読みでしょう。

本人曰く「膨大なエネルギーを使う総裁選とコロナ対策を両立させるのは困難で、残された任期はコロナ対策に専念することに…」とのこと。
総理総裁の器に能わずと、自民党内外からの指摘で引きずり下ろされての不出馬だというのに、こんな見え透いた嘘をいったい誰が信用するというのでしょう。


6月初旬に党首討論をやったのを最後に、菅首相は国会を閉じ、姿を見せぬまま、こそこそと退陣するとのこと。
これのどこが「コロナ対策に専念」なのでしょう。意味不明。

菅首相としては、五輪のお祭り騒ぎでコロナ禍の鬱屈した空気を一掃させ、その勢いを駆って「政権浮揚」へと繫げ、総裁再選を勝ち取り、総選挙に打って出るというシナリオだったはず。

ところがそのシナリオは脆くも崩れ去り、総裁選出馬を断念せざるを得ないところに追いやられてしまったというのが実際のところ。

私はそのつもりも無かったので観ていなかったのですが、パラリンピックの閉会式のひな壇では、臨席の皇族、東京都知事、IOC会長などが笑顔で選手らを迎える中、ひとり菅首相だけは陰鬱な顔というのか精気の失せた相貌をしていたことがSNS上で話題になっていたようです。

心ここにあらずと言うのか、そもそも五輪そのものへの興味は全く無かったのかもしれませんね。
ただ「政権浮揚」には使えるだろいうという判断から、開催強行したものの、しかしその結果、「政権浮揚」どころか、政権は失墜していくことに。

身から出た錆とはいえ、政権浮揚という政治利用主義で五輪を活用するなどという邪な(よこしまな)考えがいかに独善的なものであったかは、この退陣に追いやられたという政治のダイナミズムが教えているのでは無いでしょうか。

いかに政治家が五輪と結びつけて政治利用しようと夢想しても、その欲望に安易に踊らされる人々ばかりでは無かったということです。

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2020東京五輪強行はオリンピック終焉への弔鐘(6)〈追補あり〉

パラリンピック

パラリンピック開会式(毎日新聞)

Covid-19パンデミック下での 2020東京五輪 も終わり、デルタ株の猛威に晒される医療現場の逼迫状況が日を追うごとに厳しさを増す中、今度はパラリンピックの開幕となり、再びメダルラッシュがもたらす狂騒、あるいは「感動ポルノ」との相乗となり、コロナ禍を巡る最大の困難に立ち至っている現在の状況を覆い隠していくかのようです。

パラリンピック開催、本当に大丈夫なのか

パラリンピック(以後、「パラ」と略称)の感染症対策、行動ルールは、五輪と全く同じものとされ、関係者のみを「バブル方式」で囲い込み、選手は毎日、唾液による抗原定量検査を実施するとのこと。
陽性の判定が下されると、選手村に設置した「発熱外来」での正規のPCR検査に移行し、その結果、陽性が確定すると濃厚接触者を含め隔離することになっているようです。

現在、パラリンピック関係者の感染確認者数は219人と報道されていますが(朝日08/28)バブル方式とは言え、オリンピック大会でも選手村を抜け、街中へと繰り出した海外選手もあったようですし、また大会警備のために地方から派遣されてきた警察官の多くが感染確認され、彼らが地元に帰還し、その地域での感染を拡大させる感染源になっているようです。(NHK


菅政権は五輪開幕前に4度目の「緊急事態宣言」を発してきたものの、その後、人流は大きく抑制されるということもなく、「宣言」慣れ、あるいは政権への不信が重なり、一方での華々しく開催された五輪を横目に「行動自粛」などといっても若い年齢層からは反発を招くだけで、「宣言」は政府の期待とは裏腹にまったく奏功されていなかったという事実があります。

そうした人々の行動スタイルの冷厳なデータがあるというのに、あらたにまた「パラリンピック」の開催となれば、ますます人々の行動規範は緩み、感染状況の抑制どころか、ますます感染者を増大させ、医療の逼迫状況を完膚なきまで破綻させるモメントとして働いていく怖れさえあります。

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2020東京五輪強行はオリンピック終焉への弔鐘(5)

The Daily Beast Webサイトから

大坂なおみ への歪んだ視線

『The Daily Beast』という米国紙に「Olympic Boss Wanted Flame Lit by ‘Pure Japanese’ Ex-Yankee Player, Not Osaka」(森喜朗 前組織委会長は最終聖火ランナーは大坂なおみでは無く、[純粋な日本人](Pure Japanese)の松井秀喜にさせたかった)との記事が来ています。(08.04:こちら

大坂なおみが聖火最終走者のオファーを受けたのは、全豪OPENでグランドスラム4つ目のタイトルを獲得した3月頃だとされていますが、この森前会長が「わきまえない女性」発言で会長辞任へと追いやられ、これを機に松井秀喜案はお蔵入りされたといったような内容です(開会式 本番では最終ランナーの数組前、王貞治とともにトーチを掲げた長嶋茂雄の介護者として松井も顔を見せていましたね)。

確かに、日米ともに野球で大きな功績を残した松井秀喜は候補の対象として上げられても決しておかしくは無いですが、それを言うならばむしろ世界的にも著名な本塁打記録保持者の王貞治の方が適格という見方もできます。

ところで少し古い話しになりますが、1996アトランタ大会の開会式。1960ローマ五輪・ライトヘビー級王者 等々、輝かしい戦績を残した伝説のボクサー、カシアス・クレイ(モハメド・アリ)が最終点火者として表れた時は、重いパーキンソン病でままならない両手の震えを抑えながらの点火のシーンは本当に感動させられたものです。

世界的に知られた著名な引退後の選手がこの最終点火者を担うというのは比較的一般的なものですが、野球はまだまだアメリカとアジアの限られた国でのスポーツで、ゴジラがそれほどに国境を越えて知られているかと言えば、否定的にならざるを得ません。

最終的に決せられた大坂なおみですが、既に広く知られてるとおり、彼女は日本人の母とハイチ系アメリカ人の父を持ち、今やグランスラム4大大会を4つも制覇し、昨年はBlack Lives Matter 運動に積極的に関わる姿勢を示すなど、今ではスポーツ界を越え、世界的な社会現象とも言うべきアイコンに押し上げられていますので、押しも押されぬスポーツ選手として、最終点火者としてこれほど格好の人物はいなかったでしょう。


今大会に関しては、これまで語ってきたように、世界的イベント、オリンピックを開催するにふさわしい東京都なのか、日本なのか、との疑念があった中、開幕直前になり、大会組織関係者、式典関係者の相次ぐ辞任、解任といった苦々しい問題が大きくクロースアップされてしまい、いったいこのオリンピックはどうなってしまうのか、との困惑、疑念で重い空気に支配される中、こうした汚濁にまみれた空気を一掃させるべく、重い使命を担ったのが最終点火者・大坂なおみだったというわけです。

カシアス・クレイと同等とは言いませんが、彼もローマ五輪で獲得した金メダルを帰国後の黒人差別に怒り悲しみ川に投げ捨てたり、ベトナム戦争への徴兵拒否で世界タイトルを奪われるなど、黒人としての悲運、苦難を乗り越え、後年、最終点火者としての栄誉でしたが、大坂なおみの方はBLM運動に臆せずに積極参加するなど、カシアス・クレイ同様の評価軸に屹立していると言っても決して間違いでは無いと思います。

純粋な(ピュアな)日本人である松井秀喜くんにすべきだったという森喜朗の妄言など、通用するのは極東の島国の国境内という限定的なものに過ぎないのです。
そもそもピュアな日本人という概念そのものがおかしいでしょう。

日本人のルーツといっても、3〜5万年前に、アジア大陸、さらには南方諸島からはるばるやってきたホモササピエンスを元にすると言われ、紀元後も、ヤマトの支配下、朝鮮半島からの渡来人として多くの人々が渡り付き、定住してきたことは歴史書の教えるところです。

今の時代、純粋な(ピュアな)日本人、などとする概念など、無意味というより、むしろ悪質なイデロギーでしかないのです。
松井くんにとっても迷惑な話です。

「日本は天皇を中心とした神の国」と公言して批判を浴びた森喜朗という前近代的な化石のような人物の妄言を余所に、今の日本のスポーツ界にあっては、世界に名が響きわたる数少ないインパクトのある、ポジティヴなイメージが強いアイコンは誰あろう、大坂なおみなのです。

彼女に最終点火者を担ってもらうことで、この間のいくつもの実におぞましいスキャンダルにまみれた組織委の体質を払拭し、『ダイバーシティー&インクルージョン(多様性と調和)』を掲げるにふさわしい出自を持つ彼女にクリーンアップさせようと狙ったのも肯ける話しです。

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2020東京五輪強行はオリンピック終焉への弔鐘(4)

産経新聞より

オリンピック開会式

Covid-19感染予防のためもあってか、各国入場セレモニーで間隔を大きく設けたことなどから予定の時間枠を越え4時間にもわたる開会式で、TVから離れようとしない子どもを寝かしつけねばと思いつつの深夜におよぶ観覧だったかもしれませんね。

大会関係者としては開催そのものへの批判、開会式を含め無観客という決断などから、式典の構成等悩ましいところもあったと思いますが、予定時間枠を越えるなど、感染予防に配慮された構成とも思えない、あるいは開幕直前になった式典関係者の相次ぐ辞任、解任騒ぎから多少は自粛する意志を示す意味から、短縮したモードで行うといった判断もあり得たはずですが、そこは全く無かったようです。

式典内容もショボかった。
パフォーマンスも大工の真似事、響かないタップダンス、意味不明なTVクルー等々、チマチマした小ネタの芸を繋ぎ合わせたもので、あれで165億円(閉会式と合わせた予算)もの経費を掛けたのかと思わされ、ビートたけしの「税金からいくらか出してる。金返せよ!」との怒りも当然かと思います。(中日:0725

一方、幾度も繰り返された競技場屋上からの花火の華やかさは、まさに祝祭空間を演ずるものでした。
競技場周辺にはかなりの数のギャラリーが集結していたようで、TVクルーはともかくも、彼らにとっては自粛モードとは裏腹のコロナ禍などどこ吹く風の祝祭の時空そのものであったのでしょう。

こうして祝祭空間を演出しているのかと思えば、他方では冴えない学芸会。

競技場周辺に三密よろしく集結した人の波を観れば、もはや、開場してやり、中へ入れてやったほうが感染予防になったのではと思うほどでした。
中には五輪に反対する市民らもかなりの数で集まっていたようですが、彼らも同じように三密避け、場内に入れてやり、集まった各国のアスリートらに、日本にも五輪に反対する意識ある市民らがいるんだということを視覚化させてやるのも一興かと思ったほどです。苦笑

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2020東京五輪強行はオリンピック終焉への弔鐘(3)

2020東京五輪は1年延期の末、今や来週末には開幕という差し迫った状況です。

これまでも触れてきたように、多くの識者、メディア、SNS、そしてあらゆる世論調査においても、開催そのものへの疑義が出されている現状は、この開催間際になっても変わりは無いようです。
これはDOVID-19パンデミックのど真ん中での開催になろうとしているからに他なりません。

7月8日 菅首相の記者会見。4度目の「緊急事態宣言」発出

7月8日の菅首相による記者会見では、この新型コロナウイルスの蔓延が続いてきた昨年初から500日余りで何と4度目の「緊急事態宣言」が発出されましたね。

首都圏中心に発出されている「まん延防止重点措置」終了を経た今月12日から8月22日までの6週間です。

これは前回の「緊急事態宣言」解除(6月21日)から、わずかに3週間しか経っていませんし、またこれまでは「緊急事態宣言」の期間としては3週間から4週間ほどの単位でしたが、今回はいわゆるお盆が明けるまでの6週間という比較的長期のものになっています。

そして…、この「緊急事態宣言」のまさにど真ん中でオリンピックが開催されようとしているということです。
これには開いた口が塞がらないというのか、言葉を失う、いわば絶対矛盾としか言いようのない事態でしょう。

首相曰く「緊急事態宣言の下で、異例の開催となった。新型コロナという大きな困難に直面する今だからこそ世界が一つになれること、そして全人類の努力と英知によって難局を乗り越えていけることを東京から発信をしたい」

菅首相はこれまで「人類がコロナに打ち勝った証しとしての東京五輪」を掲げ、どれだけ感染状況が厳しかろうがオリンピック東京大会は何が何でも開催ありき、と強弁してきたところですが、これが残念ながら虚妄なものとなってしまったことは明らかだったようで、「全人類の努力と英知によって難局を乗り越えていけること」などと、「コロナに負けつつある」ことを糊塗し、これに変わり、上滑りの詭弁を弄するものにさらりと切り換えてきたのです。
多くの方のイメージとしては、「人類がコロナに“敗北した証し”としてのムチャクチャ東京五輪」になろうとしているというのが実態でしょう。

菅首相が自信満々で五輪の準備を進めてきた最大の根拠となるものはワクチン接種でした。
「一日100万回」などと河野担当大臣に語らせ、事実、欧米とは数周遅れのTopランナー如くに、闇雲に各自治体に指令を出し、医療従事者から、高齢者向けの接種を進め、この7月で終えようとしているのです。

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2020東京五輪強行はオリンピック終焉への弔鐘(2)

緊急事態宣言下での開催?

06/17、菅首相は沖縄を除く9都道府県の宣言解除についての記者会見を行った。現在はこれがすべて解除され、21日から東京、北海道、愛知、京都、大阪、兵庫、福岡の7都道府県では〈まん延防止等重点措置〉へと移行された状況にあります。
記者会見を行った17日の東京の新規感染者数は452人と、「ステージ4(感染爆発)」に限りなく近いのに、です。
そして今日に至るまで、大きく減ずること無く、いわゆる「下げ止まり」の状況にあるようです。

そして本日、6月23日の東京都の感染確認は619人で、4日連続で前週同曜日を上回る感染確認という状況だそうです。(NHK
この状況からは、今や、下げ止まりから一転、再拡大へと向かいつつあるのではとの懸念さえ現実味を帯びていているかのよう…。

東洋経済新聞

また、今後の感染を予測する上で有為な指標とされている「実効再生産数」を観ますと、むしろ上昇しつつあることが窺えるのです(東洋経済・新型コロナウイルス国内感染の状況(東京都))。

前回3月の〈緊急事態宣言〉解除では大阪に典型的でしたが、明かなリバウンドが起き、その後1ヶ月余りで再宣言せざるを得ない状況になったことは記憶に新しいところです。

今回はこの時より感染者数は120名も多く、いかに「まん延防止等重点措置」に切り換え、規制を掛けるとは言いつつも、午後7時までは酒類が提供されることとなり、感染防止策は大きく緩みます。
たぶん、前回以上のリバウンドが避けられないのでは無いのでしょうか。

このまま開催に突入し、五輪大会開催中にクラスターが発生したとしても、それらが発症し、問題になるのは、大会終了後ということになれば、当然にも責任問題となるでしょうが、組織委は解散し、首相の任期も終わりを迎えるという日程なのです。

さて、本筋に戻り、前回からの続きです。

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2020東京五輪強行はオリンピック終焉への弔鐘

世界的なCovid-19パンデミック状況下、IOCを先頭として、我らが日本政府、組織委、JOCは、8割の人々が、ぜひ止めて欲しい、せめて延期を!と祈るような思いで反対の声を上げるという大変厳しい状況に立ち至ってるにもかかわらず、開幕まで1月半余りとなった今も、東京五輪へと突き進もうとしているようです。

このトンデモ無い五輪暴走、いや五輪ファッショとも形容せざるを得ない状況はスポーツを愛する私たちにとって、いったい何を意味しているのか、少し冷静に考えてみなければと思います。

これは一義的にはCovid-19、新型コロナウイルスという新規感染症。つまり外部要因からの翻弄と言えるものであることは当然ですが、どうも、伝えられてきているこの間の五輪を巡る様々な不可解な事案、そしてIOC 他、組織委、日本政府の強引なまでの開催強硬は、オリンピックゲームというイベントそのものの闇をこのコロナ禍が白日の下に晒しつつあるように思えてなりません。

私はスポーツはもちろん好きです。今でこそTV観戦という情けない接し方ですが、高校まではサッカーボールを蹴っていましたし、社会人になってからは職場代表の駅伝選手として選出されたりもしたもの。
身体を動かし、汗を流し、他者とゲームを争う、この爽快さは身体が悦ぶことを伴うだけに、何にも代えがたい快楽をもたらすことは誰しもが体感できるものです。


先頃開催された五輪代表最終選考会でもある「水泳日本選手権」は大いに湧きました。

100mバタフライ、100m自由形、50mバタフライ、そして締めくくりの50m自由形と、4種目に優勝した池江璃花子選手の驚異的な活躍は多くの人をTVモニターを前に釘付けにし、涙と共に大きな拍手に包まれました。

白血病に倒れたのが一昨年。選手生活の継続すら危ぶまれたと言うのに、過酷な治療と闘病を乗り越えた驚異的な回復力は周囲の期待を超え、彼女自身の言葉からも本人も驚くばかりの復活劇だったのは間違い無いのでしょう。

このエポックは、彼女に競技する場を与えてやりたい、すばらしいパフォーマンスをみて感激したい、との思いに駆られた方も多いはずで「五輪反対派」を覚醒させるに十分なものと思えたものです。

またこの池江選手の活躍に対し「池江選手こそ五輪反対の立場に立って欲しい」などとする「反対派」からの声が上がり、彼女自身を大きな困惑に巻き込む形になるというサブストーリーまで派生させましたが、それも含め、開催強硬派は勢いづくものだったかもしれません。

彼女のような、いわば孤高のスポーツ選手、スーパーエリートアスリートの闘いに私たちは感動し、人間の限りない力の発揮と、努力の姿にエールを送り、非日常の祝祭的時空を謳歌するもののようです。

オリンピックはこうしたスポーツ選手にとり4年に1度の晴れ舞台。これに挑み、チャンスを我がものとして代表選考を勝ち抜き、スタート台に立つのです。

ただ、現実的なオリンピックはそうしたあり得べきピュアな姿の影に、金と欲望、国家の見栄と栄誉が渦巻く、いわばイベント資本主義としての強欲とそれゆえの矛盾の塊のようなものでもあるのです。

ましてや、今大会は1年半前からのCovid-19パンデミックによる社会的疲弊のど真ん中で開催されるという、オリンピック史上においても稀有な事例となっており、開催するにしても、これを断念するにしても、私たちとオリンピックの関係というものを、あらためて深く問い直す契機になっていますし、その意味では良い機会だと思うのです。

ラグビー元日本代表・平尾剛氏の提言

数日前、池江選手と同じく、スポーツ選手だった、ラグビー元日本代表・平尾剛氏(神戸親和女子大教授)のインタビュー記事がありました。
これは私の思いと通底する内容でもあり、意を強くしたものです。

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