工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

角偉三郎と合鹿椀(漆芸とは)

NHK教育の「新日曜美術館」
あさの本編は所用で視られなかったが、夜の再放送で興味深く、そして懐かしく視させていただいた。
良く語られるように若い頃の沈金の手法での高い芸術性を持った漆芸作品で高い評価を受け、将来を嘱望されていたところに、漆工芸というものへの本質的な懐疑が頭をもたげ、試行錯誤しながらふと地元の骨董屋で出会った合鹿椀の健康的な美しさに魅入られていった。
同じ漆芸の世界とはいえ、その手法も違えば目的とするところが全く異なるお椀の世界。しかもいわゆる輪島塗として歴史的伝統的に形成されてきた世界に納まるようなものではなく、かつて縄文人から伝えられてきたであろう、日常雑器としての奇をてらわない、ありふれた、しかし器としての目的にかなった健康的な美というものを内在した器づくりへと大胆に踏み出していった。
その過程での葛藤、不安、それまでの沈金の世界からの変転への美術界からの蔑みと無理解からの孤立感。
ゲストの鯉江良二さんとの交流でもその辺りのことを感じさせ、ともに語らったことが証されていたが、陶芸界でも型破りな鯉江さんならではの理解とシンパシーもあったのだろう。
しかし、自身の信ずる道をひたすら歩み続け、美術界の評価、アートメディアの評価とは異なり、一般の顧客からの確実な評価と、一部の愛好家からの高い評価を勝ちとり、みるみる時の人となっていった。
近代工芸と美術界、そしてアートメディアの腐敗。
角さんの大成は、若い頃に賭けた鋭いアート志向、そしてこれと決別しての民のための器造りの世界へと降りてきて、100,000個のお椀を作るのだ、とばかりにひたすらに練達の世界へと入っていく過程での自己批評、工芸家としての真摯な眼差しとたゆまない努力。そうしたものに支えられて闘い抜いた人生であったからだろう。
あらためてご冥福をお祈りしたい。
なお、角さんの作品を紹介した書、雑誌はたくさんあると思うが、比較的整理されまとまったもので取り上げ方も良かった「季刊 銀花」81号(1990春)も良いと思う。
冒頭の特集「角偉三郎と漆街道(ジャパンロード)」というもので30頁近い構成。
*関連過去記事
「輪島 器の創造」角偉三郎(NHK新日曜美術館)

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 角さんと輪島の職人との微妙な関係が興味深かった
    です。
    ある意味、異端児扱いされながらも輪島を離れることなく
    制作を続け、職人とのコラボレーションによって角さんの
    思いが形になって行ったという理解でよろしいのでしょうか?
    オリジナリティーとか伝統工芸とかの意味を考えさせられる
    番組でした。

  • はじめまして。
    短歌と写真のブロガーの髭彦と申します。
    角偉三郎の記事を拝見しました。
    ぼくも角偉三郎について短歌、詩、写真、エッセイなどをアップしています。
    よろしければお立ち寄りください。

  • acanthogobiusさん、
    >輪島の職人との微妙な関係
    あそこまでメディアの前に証すとは思いませんでしたね。
    いわゆる作家もの、工房もの、の差異とも言えますが、しかしもともと漆芸というジャンルは分業が当たり前の世界。
    企画からデザインまでどちらがヘゲモニーを持って関わるのか、ということでしょうか。
    でも角さんが作家の道を捨てて轆轤師に弟子入りしようというピュアな志を抱いていたということ、そしてそれは自分には無理であることに気づき、潔く任せるしかないとあきらめて協業(コラボレーションとしても良いかも知れませんが)態勢を作り上げていく過程というものが興味深かったですね。
    それぞれが自律した職人、あるいは工芸家であってはじめて可能になる世界ですね。

  • 髭彦さん、はじめまして、ようこそ ! 、ご訪問ありがとうございます。
    すてきなBlogですね。拝見させていただきました。
    合鹿椀はじめ多くの作品をお持ちのようですね。
    勝手な言いぐさになりますが、ぜひ茶棚奥深く眠らせずに使って楽しんでいただきたいものです。角さんもそれを求めていらっしゃることでしょう。

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