工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

2015年 ー コンピューター導入から20年、

新年も明け、旬日を超え、この週末の阪神大震災20周年を迎えればすぐにも大寒です。
天気予報を見る度に、当地は全国でももっとも温暖な地域の1つであることを確認させられるわけですが、しかしそうは言っても寒いです。

作業中はボア付きのGジャンが離せず、夜間のデスクワークはフリースを重ね着しても、なお寒い。
二十四節気、来週の大寒を越し、その2週間後は立春。それまでの辛抱というわけです。


今年の2015年ですが、上述のように阪神大震災20周年であるとともに、思い返せばWindows 95がブレークし、パーソナルコンピューター元年と言われたのも20年前の1995年でした。

私はと言えば、天の邪鬼、というわけでもないのですが、この年に初めて買ったコンピューターはMac(Macintosh)でした。
IBM PowerPC搭載のPerformaと言う機種。

その後暫くはこの非力なマシンで楽しんでいました。
その頃、何気なく視ていたTV、坂本龍一氏のインタビュー番組で「インターネットというものがアメリカでは話題になっている」とのことで興味を抱くことになります。

その数ヶ月後、専門雑誌を求め、付録のCD/ROMのソフトウェアなどを利用し、今とは雲泥の差の難しい接続作業を強いられつつ、ピポパ・・・と、アナログ回戦でのダイヤルアップ接続に成功した時の喜びは一入でした。

さらにその後、1998年の事ですが、木工を趣味にする先進的なパソコン熟練者らの支援を受けつつ、10数名のグループで共同のWebサイトを構築することになるのです。

ただ残念ながら、そうした方々との更新作業の依頼の困難さなどがあり、一方で自力で自分のスタイルで構築したいとの願望がもたげ、それに向けHTML言語やら、画像ソフトなどの学習に努めていたのが2001年の頃でしたでしょうか。

その後PowerBook G4に更新したのも、Webサイト構築のため強力なマシンが必要となったからでした。
PowerBook G4はチタニウムボデーの人気機種でしたが、この強力なマシンに助けられつつ、Webサイト構築に励んだものです。

私の木工稼業の歩みの中でも、その頃は個展の展開など最も充実した時期でもありましたので、Macに向かうのは夜半からとなり、深夜に及ぶWebサイト構築作業でしたが、疲れを知らず勤しんだものです。

そしてついに2001年暮れにはできあがり、年明け早々に公開したのでした。
工房 悠にとり、インターネット元年であったわけですね。
この頃からインターネットの世界ではGoogle検索が稼働しはじめ、またやがてブログというシステムが開発され、私も2005年の春にはブログサービス会社に登録し、運用を開始したのでした。


大企業であれ、私のような個人であれ、インターネットの世界では、基本的にはそのフラットな特性から(実態は様々な要素が絡むので一概にフラットとは言えないが)、誰しもがヨーイ、どん、で1つの共通の世界に発信できるという革新的なツールには、眩暈がするほどに酔いしれたものです。
(悪酔いしているWebサイトも少なく無いわけですが 笑)

途中、このサービス会社との契約は打ち切り、独自のデザインとシステムでの運用に切り替えましたが(CMSツールとしてのWordPress)、合わせてこのblog開設から10年ということになります。

そして今ではFacebook、Twitterなどソーシャル・メディアが社会に根付き、またクラウド・コンピューティングの進展、スマートフォンの普及など、一般生活から社会システム、経済活動、あるいは意思決定のシステムにまで、コンピューターとインターネットが社会のアークテクチャの基軸として位置づけられてきていると視て良いでしょう。


無論、こうした電子科学技術の進展の一方、これに伴い様々な弊害が社会を揺り動かすほどの規模と深刻さの度合いで生まれてきていることも確かです。
個人情報から、企業規模での情報漏洩、あるいは世界規模での株や貨幣の売買は一瞬のうちに行われ、乱高下するという現象を産み出してしまうわけですが、こうした金融工学などから派生する富の一極集中は格差社会をより広汎に産み出しているようですし、スマートフォン、タブレット端末の普及促進の結果、インターネット端末への依存が強まり、若年齢層での人間関係の歪み、学習の停滞など、深刻な問題はより増大する一方です。

しかしこのインターネット社会の進展は不可逆的なものであると言わざるを得ず、こうした時代をより積極的に生き抜いていくためにも、時代精神を読み、これを客観的、冷静な目で見据え、自分のポジションを強く意識し、自らの行動規範を見定め、律していかねばなりません。

例え未知なる社会への展望を描くことが困難であったとしても、受動的なままに、この電脳社会に一方的に呑み込まれるのではなく、インターネットのポジティヴな側面をより強化し、ここに希望を託し、少しでも明るい未来を引き寄せる仲間のひとりとしてありたいと願うばかりです。

今日は2015年という時代の幕開けに、社会のアークテクチャの基軸になってきたコンピューター、インターネット社会から20年という年の意味を少し概観してきましたが、次回はやはり木工について触れねばなりません。

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  • 今年もよろしくお願いします。
    ちょっと探したら、最初のMACの保証書が出てきました。
    1994年12月20日となっています。Power Mac 7100/66AV
    17インチCRTと合わせて40万円くらいだったと思います。
    もちろん、月賦支払いでしたが。
    それも初期不良で、交換のために車に積んで、秋葉原まで運んだ覚えがあります。
    20年ですか? 自分はあまり進歩していないように思いますが
    コンピューターの進歩はすごいですね。RAMは16MBとなっています。

    • acanthogobiusさん、本年もどうぞお手柔らかに。お正月は如何でしたか。新しい家具の創作プランでも練られたのでは。

      Power Mac 7100でしたか。このマシンからMacを始められたユーザーは多いのでは。
      当時は高かったですね。

      また、Mac OS X 以降、トラブルフリーで実に堅牢なマシンになってきました。
      コンピューター世界では様々な進化がありますが、この堅牢性が確かなものになったことは特記すべき事柄ですね。
      つまり、専門知識が無くとも、誰しもが安心して楽しめるようなツールになったということ。
      すばらしい進化だと思います。

      もうすいぶん前からですが、Macにはほとんどと言って取説が付いてこない。
      電源コードとLANを繋げさえすれば、もう誰でも使えるという世界。

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